陶器製鳥居で有名な宮地嶽八幡神社へいってきました。
宮地嶽八幡神社は長崎で最大級の規模をほこることもあった神社で、文政11年(1828)には境内に歌舞伎小屋もあり大変賑わいました。
いまでも地元の人や観光客でにぎわう神社です。
陶器製鳥居は長崎県内初の登録有形文化財(登録年月日:平成9年7月15日)になっており必見です。
- 神社名:宮地嶽八幡神社
- 社格:(未調査)
- 創建:承応二年(1653年)
- 鎮座地:長崎市八幡町8-6
- 公式サイト:無
- TEL:0958205606
- 参拝可能時間:24時間
- 社務所:有(受付9:00~17:00)
- 御朱印:有
- 駐車場:社務所へお尋ねください
【注意】宮地嶽八幡神社前の通りは一方通行
宮地嶽八幡神社前の通りは一方通行になっているので車で向かうときは注意が必要です。
下の地図は新大工町電停から宮地嶽八幡神社への経路ですが、このように進むといいでしょう。
宮地嶽八幡神社の陶器製鳥居
宮地嶽八幡神社は陶器製鳥居で有名な神社で、長崎県内初の登録有形文化財(登録年月日:平成9年7月15日)になっています。
下の画像は一の鳥居前から撮ったもので、背後に陶器製鳥居が見えてます。
一の鳥居をくぐると陶器製鳥居を間近に見ることが出来ます。
この鳥居、間近にみるといたるところに補強がしてあります。
普通の鳥居とちがい保存に気を使っていることがうかがえます。
細かい模様も書かれています。
裏には「製造人 岩尾久吉」「角物細工人 金ヶ江長作」「丸物細工人 峰熊一」と書かれています。
陶器製鳥居は文化財であり、壊すことがないよう触らずに鑑賞するように注意書きがありました。
陶器製鳥居についてかかれた看板もあるので下の画像に紹介しておきます。
宮地嶽八幡神社拝殿の左手には歌舞伎小屋があった
鳥居をくぐると手水舎と拝殿が見えてきます。
拝殿左手に幼稚園があるのですが、過去にさかのぼるとこの辺りも宮地嶽八幡神社の境内で、ここに歌舞伎小屋がありました。
神社としては歌舞伎小屋は作らない方針でしたが、建設をめざす座長の熱意にこたえる形でたてられたそうです。
文政11年(1828)12月、長崎においてはじめて常設の芝居小屋が許可され、八幡町30番地に、長崎における最初の芝居小屋「八幡座」が誕生。以降、明治、大正、昭和にかけて、長崎市内には数々の芝居小屋が点在した。
長崎webマガジン ナガジン|http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken14032/index1.html
この歌舞伎小屋は著名な役者が歌舞伎を披露していたので、いつも満員御礼。
チケットは高額で八幡町の人も簡単にはみることができなかったようです。
それでもなんとか見たいという人達が何人も目隠しの壁下に穴を掘って顏をだして覗いたそうで、その様子は「亀の行列」と呼ばれていました。
そんな賑わいの歌舞伎小屋は、タバコの不始末で座布団から出火し、火災となり焼失しました。
今では歌舞伎小屋の面影を見ることはできませんが、「亀の行列」の話などから宮地嶽八幡神社の規模や参拝者の多さをうかがい知ることができます。
ちなみにこの歌舞伎小屋は奉行所から許可を得たもので、回り舞台もある由緒正しいものだったようです。
宮地嶽八幡神社のパワースポットは鳩
八幡神の使いである鳩は宮地嶽八幡神社でもパワースポットとなっています。
探してみると石碑の上にいました。
この石碑以外にも境内に鳩がいます。
探してみてください。(実はこの記事内の画像に写ってます)
宮地嶽八幡神社の参拝と取材のまとめ
宮地嶽八幡神社は江戸、明治期に長崎が発展していく中心地に立地していたので、参拝客はとても多く、神社の規模も大きいものでした。
本記事では割愛しましたが、祀られている神様もとても多く、このことも当時の賑わいを表すひとつの名残のようです。
また、神職さんは神社の歴史や日本史にもくわしく丁寧に教えてくださりました。
歴史背景や当時から現在までの立地を考えると、長崎市民は参拝必須の神社といえそうです。
(もちろん長崎市民以外の方も参拝してみてください)
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