山王神社は爆心地から徒歩13分、直線距離800mほどに位置する神社で、福山雅治さんが2014年リリースした楽曲「クスノキ」のモデルになった被爆クスノキや片足鳥居があります。
山王神社は被爆遺構の保存や世界の平和を祈願している長崎と原爆を象徴する神社のひとつです。
- 神社名:山王神社
- 社格:(未調査)
- 創建:寛永十五年(1638年)
- 鎮座地:長崎市坂本2-6-56
- 公式サイト:http://sannou-jinjya.jp/
- TEL:0958441415
- 参拝可能時間:24時間
- 社務所:有
- 御朱印:有
- 駐車場:無
福山雅治さんの歌「クスノキ」のモデル「被爆クスノキ」と「片足鳥居」
福山雅治さんの歌「クスノキ」は山王神社の被爆クスノキのことらしいのですがどんなクスノキ?歌詞の中に出てくる片足鳥居って?と思いますよね。
それが下の画像です。
被爆クスノキは山王神社の境内入り口に位置し、片足鳥居は二の鳥居にあたるので参道に建立されてます。
どこにあるのかなどもう少し具体的に教えてくれ!
そう思い次の章で片足鳥居について詳しく説明します。
山王神社に現存する鳥居は片足鳥居(二の鳥居)だけ
下の地図は《一の鳥居→片足鳥居(二の鳥居)→被爆クスノキ》までのルートです。
山王神社の参道にはもともと4つの鳥居がありましたが、現存するのは二の鳥居である片足鳥居だけとなっています。
他の鳥居は原爆被害でなくなったのか。と思われますが、実はちがいます。
原爆被害で倒壊した鳥居は、三の鳥居と四の鳥居です。
二の鳥居は片足鳥居となり一の鳥居は原爆に耐えて奇跡的に無傷でのこりましたが、昭和37年に不慮の事故により倒壊し、現存するのは片足鳥居だけとなっています。
原爆に耐え、無傷だった一の鳥居は見れなくなったのか。
そう思いながら一の鳥居が建っていた場所に行くと、そこには碑がたてられていて、被爆直後に無傷でのこった鳥居のすがたを画像としてみることが出来ます。
▲山王神社一の鳥居跡に作られた石碑周辺の様子(石碑は画像右下に位置する)
残念ながら一の鳥居は実物を見ることも触れることも出来なくなってしまいましたが、現存する片足鳥居(二の鳥居)は間近に見ることも、そして触れることも出来ます。
ところで倒壊した左半分が気になりますね。
なんと左半分も片足鳥居のそばに展示してあるので見ることができます。
なぜ原爆の爆風や熱線のなか完全倒壊しなかったのでしょうか。
・・・神様に守られていたから。
それもひとつの答えかもしれませんが、後の調査によると鳥居が爆心地に対して平行に建立されていたことが要因と考えられています。
ちなみに片足鳥居は倒壊している左半分が爆心地に近い側です。
「被爆クスノキの被害や現在の様子はどうなっているの?」
次の章で被爆クスノキの様子を見てみます。
山王神社にある被爆クスノキの様子
被爆クスノキは山王神社の境内入り口付近にあり、いまも力強い生命力で生い茂っています。
「原爆のなか生き残ったなんて信じられない。」
本当にその通りで奇跡としか言いようがないと思います。
実はいまでこそこれだけ生い茂っていますが、被爆直後は枝葉が吹き飛ばされ、熱線で木肌は焼かれ枯死寸前の状態だったようです。
その様子が下の画像で分かります。
原爆で枯死寸前の状態から復活したすがたは、戦後復興を目指す長崎市や日本を応援し続けたのではないでしょうか。
ちなみに被爆クスノキの足元には大きな岩が置いてあるのですが、これはクスノキを治療するときに幹から取り出されたものです。
この岩からも原爆による爆風の凄まじさとクスノキの生命力を感じることができます。
被爆クスノキの側には平和を祈る千羽鶴が飾られています。
山王神社の拝殿で参拝
山王神社の拝殿は小さな森のようなところにあります。
この小さな森もおそらく原爆投下後に出来上がったものだと思います。
木々に囲まれた拝殿がなんともいい感じです。
福山雅治さんももしかしたらここで参拝したかもしれませんね。
山王神社の参拝と取材のまとめ
山王神社は戦後長崎の被害と復興を物語る神社といえ、観光客などの参拝者も多い神社です。
8月9日原爆の日は特別の想いをもって参拝されてもいいかもしれません。
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